Illustration by 秋霖

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Story1
『けはい』
紙の上に落とされた絵の具が香ることはありません。
けれども、絵に描いた花の気配は、確かな香りを放つと思います、きっと。
(文章:秋霖)
Story2
『九月九日はまだ遠い』
 その日、いつものように中崎町にある馴染みの喫茶店へ向かったところ、店に入るなり店長にちょうど良い所に来た! と喜ばれてしまった。
「何です?」
「日雇いバイトしない? 振り袖着て写真に撮られるだけの簡単なお仕事なんだけど」
 何だ、それは。モデルになれってことだろうか?
 だが話をしているこの店長は、見た目も胡散臭ければ話も与太話が多い人だ。そう簡単な話のわけがない。
 案の定、店長は『君、オカルト系って好きだったよね?』なんて怪しげな言葉を口にした。
「曰く付きの着物の供養を兼ねて、着付けて写真撮って元の持ち主の顔を合成して印刷したやつを仏壇に供えたいんだそうだよ」
「それ大丈夫じゃないやつなのでは?」
「うん、ヤバくなって持ち主転々とするタイプの物だね」
「駄目じゃん! 流石に私も呪いのアイテムはちょっと……」
今回は元の持ち主の親御さんが着せるんだから大丈夫じゃないかなぁ。この写真のあとは寺に納めるってさ」
 ようは元の持ち主である娘さんの身代わりとして振り袖を着て欲しいのだそうだ。そう言われても、ヤバい曰く付きの着物なんて……
「日給の加えて、次回うちに来た時に特別にアフタヌーンティーセット用意してあげよう。奢りで」
「引き受けます」
 かくして次の日曜日、私はオカルトな話に首を突っ込むことと相成った。
 日曜10時、店長から指定された町中の小さな写真館へと足を運ぶ。中に居たのは、30代くらいの女性だった。
「今日はよろしくね」
 にこやかに挨拶をされたと思う間もなく、すぐさま着付けの準備に入る。もう心変わりは許さないぞとばかりに服を剥がれた。脱ぐっていうか剥ぐ。逃げませんって。
 肌着にされた後、軽く綿で身体を拭われ着付けがスタートした。
「頼んだ側が言うのも何だけど、こんな怪しい依頼簡単に引き受けちゃ駄目よ?」
それを言うなら何でこんな怪しい企画立てちゃうんですかって話なんですが」
「本当にね」
 口も回るが手も隙なく着付けをしていくお姉さん。件の振り袖は、真っ赤で豪華なものだった。
 光沢のある艶やかな綸子地には地紋が入り、裾や袖、胸元にこれでもかと大輪の菊が咲き誇る。その美しい絵柄の一部にはふっくらとした刺繍や金駒刺繍まで施されていた。
これ、びっくりするほどお高い振り袖なのでは……? と恐々としていたら、これまた帯も派手な金色のものが出てきた。
「あれ?」
 そこで気付く。帯の柄もまた図案は違えど菊の花であると。
「菊尽くしなんですね、この着物」
「そうなの。病弱だった娘さんの為に、どうか長寿でありますようにと願掛けも兼ねてこの絵柄にしたんですって」
 だが祈りむなしく、成人式にこの着物に袖を通すことなく持ち主は世を去った。
「娘さんのお名前も、喜久代さんて言うんですって」
「ちょっと皮肉めいてます、ねっ……!?」
「あら、苦しかった? 締めすぎたかな」
「いえ、大丈夫です……」
 あっという間に着付けが終わり、髪型を簡単に結い上げられた。最後にこれでもかと生花(これもまた菊だ)を頭に飾られ完成だ。
 顔に近いからか、少し青い香りが鼻孔をくすぐる。そういえば先程、着る前に身体を拭われた綿からも似た香りがした気がする。
「そうよ、あれも同じ。菊の被綿っていうの」
 問えばそう答えが返った。本来は重陽の慣習なのだという。前夜、菊に綿を被せ、その綿に露と香を集めて、重陽の日に身を拭って長寿の祈願をしたらしい。
「毎年欠かさなかったのに、亡くなった年はされなかったのですって」
 だから今日は重陽じゃないけど昨夜から綿を被せておいたの。そうお姉さんは言った。
「しなかったから早逝したわけじゃないと思いますが……」
「でもお嬢さんはそう信じたのですって。亡くなる前、体調が悪化する中で言ってたそうだから」
「そういうもんですか」
 そんな祈願に縋るほど切望したのに、彼女は生きることが叶わなかった。その無念は如何程だろう。
 私にその気持ちを理解することは、今は出来ない。いつか病に倒れたら解るのだろうか。
「だから逆手に取って、菊の被綿で拭われた貴女は早逝しない人ってお嬢さんに思って貰えるかなって」
「……ん?」
いくら供養の為と言っても幽霊にその理屈が通じるか分からないからねぇ、貴女まで呪い殺されたら大変だもの。少しでも可能性は」
「待って!? そんなヤバい代物なんですか!?」
「あら聞いてなかった? 道理で曰く付きの着物だってわりに飄々としてると思ったわ」
 なんてこった。これはアフタヌーンティーだけでは割りにあわない。お土産もつけてもらわねば。
 そう言うとお姉さんは、あの人に頼まれるだけあるわ、と呆れたように笑っていた。
 早いところ撮って脱ごう、ということで着付部屋からスタジオへ移動する。位置やカメラに対する角度、立ち方など細々と指示を受けるのだが、これが意外と難しい。
「背筋伸ばす!下っ腹もっと引っ込めて!首ももっと引く!お尻から何から全部頭のてっぺんから吊るされてる感じで!」
「しんどいです、これ……!」
「はい笑顔!」
 どうせ加工するんだから顔はどうでも良いのでは? と口答えしたところ、顔が強張るなら身体全体も強張ってるんだからグダグダ言うなと叱られてしまった。
これは貴女であって貴女の写真じゃないんだから気合い入れて立つ! はい、それじゃ本番いきますよー、笑顔!」
 そうだ。これは私の写真ではない。これは彼女の写真だ。
 この振り袖を着て、この帯を締めて、このカメラの前に立っているのは、喜久代さんなのだ。
(ならば綺麗な着姿に、出来上がる喜久代さんの写真が美しくなるように写らなきゃいけないんだ)
 そう気持ちを切り替えてレンズを見つめる。不意に、髪飾りの花の青い香りが強くなった。
「……うん、はいオッケーお疲れさま」
 香りに包まれながらの撮影が終わる。着物を脱いだら早速写真データを確認し加工するというので、一緒に写真を見せてもらうことにした。
「上手く撮れてると良いなぁ」
 そんな私の懸念は、ある意味では杞憂に終わった。
「……確かに上手く撮れてるわ」
「ですね……初めて見ました、心霊写真なんて」
 それは、私の顔を白く塗りつぶしたような写真だった。全てではないが、後半に撮った写真の大半に私の顔を重点にして光の玉が写り込んでいる。
「これご本人でしょうし、加工するよりこのままの写真の方が良い気がしません?」
「うーん……じゃ、一番光が強くて貴女の顔が消えている写真と依頼通り合成加工した写真と二種類用意することにするわ」
「あ、合成する喜久代さんのお顔ってどんなですか? 見てみたいんですが」
「止めときなさい、お顔見てこれ以上感情移入したらがっつり憑かれちゃうかもしれないわよ?」
 それはちょっと困ってしまう。気にはなるが諦める事にする。最後にお互い塩を振りあってから、写真館を後にした。
 翌週、喫茶店へ赴くと約束通り店長がテーブルいっぱいにケーキやスコーン等を用意して待っていた。
「調子どう?」
「変わりなく……と言いたいところなんですけどねぇ」
 体調は問題ない、すこぶる健康である。どうやら喜久代さんは私を呪い殺すつもりはないらしい。
 だが、ただ一点、変わったことがあった。
「洋服とか小物とか、妙に和柄が目につくようになっちゃって。もっと言うなら菊の柄」
「あー……」
「お蔭で衝動買いが増えて散財ばかりだよ、地味に困る」
 今日私が着ている服も菊の柄が大きくプリントされたシャツだ。気がついたら通販サイトで会計を済ませていた。
 そして、そういう『つい買ってしまう』時には何となく香るのだ。あの馥郁と呼ぶにはいくらも足りない、微かで清らかで青い、菊の香りが。
 今もほら、うっすらと香っている。
「いっそ菊の鉢植え買って育てるとかどう?」
「そうだねぇ、菊の柄の何かを細々買うより安くつきそう」
 そしてお菊さんとでも呼んで育てようか。枯れないよう世話をするのは大変だし責任重大だけれど。
「じゃあ、かわいい花が沢山咲く鉢植え買って帰ろうか」
 呟きに同意するように、花の香りが強くなったような、そんな気がした。
(文章:鳥居塚しのぶ)

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